写真紹介-7「井戸水の渇水で給水を受ける人たち」1957(昭和32)年5月頃

 市制施行50周年記念写真集「くにたち あの日、あの頃-写真に見る少し昔のくにたち-」からピックアップした写真をご紹介します[1]当館所蔵写真に表示のある「ファイル番号」とは、営利を目的としない写真の利用に供するため、くにたち郷土文化館に保存されている電子データーのファイル番号を表示したものです(写真集でも当館が電子データーを所蔵しているものは、ファイル番号の表記をしています)。

 掲載の写真は、昭和32(1957)年5月13日から行われた給水の様子を写し撮った1枚です(写真集P120上段掲載写真:8-1)。
『国立町報』[2]『国立町報』第37号〔昭和32(1957)年5月30日発行〕P3「町民に喜こばれた給水」。 に拠れば、この前年12月からの異常乾燥によって、3月からは町内全体で井戸水の渇水が続いていました。5月の降雨にもかかわらず、「東区の一部(八興社付近一帯)[3]現在の国立市東2丁目18番地付近を示しているとみられます。 はかえってひどくなる一方で、飲水にも困る状態」となったことから、給水を希望する住民の声に応じて給水が開始されたものです。なお、この給水活動は、「給水能力三トンのトラツク一台で三週間行う予定」として報じられていました。

 当時は、まだ水道施設の整備が進んでおらず、多くの住民が飲料水の9割を井戸水に頼っているような状況にありました。渇水に加えて井戸水の水質悪化も問題となっていたことから、「今年から水道事業に着手して着工のための準備を進めています」と町報でも伝えていました。
その後、「多くの町民が役場側とともに協力組織をつくり費用を出し合い、文字どおり町ぐるみの努力で築きあげた」[4]『市報くにたち』第354号〔昭和54(1979)年8月5日発行〕P4「水資源、再認識の時! 水道20周年特集」。 とされる水道事業は、当初の予定よりも早い昭和34(1959)年3月14日に国立町上水道通水式を挙行するに至ります[5]『くにたち』国立町報第56号〔昭和34(1959)年4月1日発行〕P1「町民待望の給水開始」。なお、『広報くにたち』第112号〔昭和37(1962)年11月1日発行〕P3「本町地区にも水道が引かれる」には、この通水式より前の3月11日に、すでに給水区域の一部で給水が開始されていたことが記されています。

 なお、同じ給水活動について報じた記事が、国立文化編集室発行の『国立文化』[6]国立文化』第44号〔昭和32年5月20日発行〕P3「給水車出動 百世帯が渇水」。なお、『国立文化』は町内会の会報として昭和24(1949)年8月に創刊。「国立文化は発刊以来九年間、町民の協力によつて発行され、一般の営利新聞と異る『町民の新聞』としての道を歩んできました」(同第44号 P2・3)との記載からも、町内の出来事を報じる地域新聞としての役割も担っていたものとみられます。 にも掲載されています。この記事に拠れば、給水用の水は「一橋大学からもら」っていたこと、「一世帯バケツに二はいづつ」の給水であったこと、給水車が「一日二回まわつて」いたことなどを伺うことができます。また、給水車は、「都からタンクを借りうけ急ごしらえ」で出動させていたと報じており、町報では分からない情報が記されていて大変興味深いものです。

 ちなみに、明窓浄机館(国立市中2丁目)で現在開催中の「戦後復興期の国立の人々と風景」(平成30(2018)年3月23日まで)では、『国立文化』の記事をご覧いただくことができるようになっています。
「町民の新聞」の記事から、当時の町の息吹を感じつつ、町の歴史を窺い知るのも楽しい時間となるのではないでしょうか。

明窓浄机館HP:http://meisoujoukikan.net/

【郷土文化館からのお願い】
このたび紹介した写真集掲載の写真は、どこで撮影されたものなのかその場所の特定ができていません。本年春に開催した企画展でも情報のご提供をお願いしましたが、この写真について何かしらご存じのことがありましたら、郷土文化館までお知らせいただけると大変助かります。何卒よろしくお願いいたします。

【中村記】


※脚 注   [ + ]

1. 当館所蔵写真に表示のある「ファイル番号」とは、営利を目的としない写真の利用に供するため、くにたち郷土文化館に保存されている電子データーのファイル番号を表示したものです(写真集でも当館が電子データーを所蔵しているものは、ファイル番号の表記をしています)。
2. 『国立町報』第37号〔昭和32(1957)年5月30日発行〕P3「町民に喜こばれた給水」。
3. 現在の国立市東2丁目18番地付近を示しているとみられます。
4. 『市報くにたち』第354号〔昭和54(1979)年8月5日発行〕P4「水資源、再認識の時! 水道20周年特集」。
5. 『くにたち』国立町報第56号〔昭和34(1959)年4月1日発行〕P1「町民待望の給水開始」。なお、『広報くにたち』第112号〔昭和37(1962)年11月1日発行〕P3「本町地区にも水道が引かれる」には、この通水式より前の3月11日に、すでに給水区域の一部で給水が開始されていたことが記されています。
6. 国立文化』第44号〔昭和32年5月20日発行〕P3「給水車出動 百世帯が渇水」。なお、『国立文化』は町内会の会報として昭和24(1949)年8月に創刊。「国立文化は発刊以来九年間、町民の協力によつて発行され、一般の営利新聞と異る『町民の新聞』としての道を歩んできました」(同第44号 P2・3)との記載からも、町内の出来事を報じる地域新聞としての役割も担っていたものとみられます。