くにたち、近い昔 20

中央線ガード 1960(昭和35)年頃

くにたち郷土文化館蔵

 『ふるさと国分寺のあゆみ』(国分寺市史編さん委員会)という資料によれば、このガードは、国立開発間もない頃に、箱根土地株式会社、国分寺村、谷保村が、資金を出し合って拡張整備されたとあります。周辺の町村とともに、国立開発と生活道路分断に反対していた国分寺村は、中央線の複線化のための工事用地買収に応じなかったため、憲政会の代議士の斡旋でこうした解決が図られた由。ガードにもさまざまな歴史が秘められていました。